三日坊主日記

チェコ留学に関する事を飽きるまで続ける予定。つまり、飽きたらやめる。

歩道に便器が不法投棄される国、チェコ!

夜、アパートへ帰路の道中、歩道に使用済み便器が不法投棄されていた。
 
 
 
 
 
 
 
2011年3月11日、それは決して少なくない人にとって忘却の彼方へと送り去ることが出来ない一日として記録されている。それはかの震災を経験していない筆者にとっても同様である。その日、私はある人と出会った。彼の名前も職業ももはや覚えてはいない。だが、彼との会話における主題は克明に想起可能だ。ライブハウスにおける会話の常套手段、「ところで、最近どんな音楽を聴いているんですか?」という筆者からの問いかけに対して、彼は「最近は遊助の『ミツバチ』を聞いているかな、あれは現代のJ-popというよりも現代音楽」と答えた。その後、私たちは互いの遊助論を繰り広げた。そこで、以下では、筆者なりの遊助『ミツバチ』論を記したい。『ミツバチ』は2010年7月に発売された上地雄輔こと神児遊助(これは「神の子が遊びを助ける、すなわち英訳するとThe child of God helps to play.となり意味がわからない)の五枚目のシングルである。
 
 

上地のステージ上における表象は地元横浜のレゲエシーンを意識してか、ジャパレゲ(JapaneseRegaeの総称、大多数がキリスト教徒でもラスタファリアンでもないのに何故か本場にならって男性同性愛者を差別する風潮があるという理解出来ない側面と、レゲエを語るわりにボブ・マーレイ ―ボブ・マーリーを本場風に発音する― とダンスホールレゲエ以外は黙殺する層も少なからず存在するのが実情とも言われるが、筆者はレゲエ好きではないので実際はよくわからない。彼らとお近づきになりたいのであれば、大麻片手に「ヤーマン」と挨拶をしてみよう、決して「ヤリマン」と間違えてはいけない。)のマナーを守っている印象だ(ジャパレゲのマナーとはステージ上でタオルを振り回すことに他ならない。これはプロ野球球団読売巨人軍の応援のマナーとの類似性が指摘され、文化人類学会は大きな注目を集めている。)。そんな上地の代表曲としても知られる『ミツバチ』は一転して、あまりレゲエとは関係がなさそうな楽曲である。そこで筆者はジャパレゲとしての『ミツバチ』ではなく、宗教音楽としての『ミツバチ』論を提唱する。
 

『ミツバチ』の歌詞(http://j-lyric.net/artist/a04f779/l021c2e.html)に目を向けてみると、冒頭から、性を想起させる単語が頻出している。例えば、”イケメン”、”ハイビスカス(花=男根)”、”リズムに合わせて羽上下行くぜ”、”お尻ふりふり”、”エンジンブンブン”、”いい気分”、そして”少しだけでもいい甘いミツちょうだい”とある。強迫観念的に並べられた性の象徴から性を煩悩として捉え、日常から性を遮断した彼の苦悩が伺える。つまり、『ミツバチ』の制作の第一要因は性に対する衝動から来ていると言える。性行為が抑圧されることで、より強固な形で噴出した性衝動に対する解決策として、一時的かつ必ずや自責の念が訪れるであろう射精という手段を介する性行為(ここでの性行為は異性、または同性との性行為のみではなく、手淫も含むことを留意していただきたい。)ではなく、半永久的に保存可能な音楽の制作という手段に打って出たのだ。彼が性欲処理対称として選択した音楽ジャンル(これは音楽学上での分類ではなく、極めて商業的な意味での分類である。つまり、内実が一致しないことが多々ある。)はレゲエであった。これがレゲエであるかどうか、という批判はレゲエ史を研究すれば、いかに見当違いであるかわかる(かもしれないが、筆者はレゲエについてよくわからないのでわからない。そもそもダンスホールレゲエをレゲエ史から意図的に黙殺するレゲエ研究家もいる。本稿において筆者のレゲエ論を展開することは無い。)。現代におけるレゲエは愛や欲望についての歌詞が多い、だがしかし、原始的なレゲエ(ボブ・マーリー以前のジャマイカの大衆音楽としてのレゲエ)はラスタファリズムと呼ばれるジャマイカ独自の宗教と密接に関係していた。ここから、上地はレゲエを宗教音楽として捉えることで、自身の活動に反映させたのだ。
 
 

再び歌詞に目を向けよう。おそらく、『ミツバチ』の歌詞を目にした人は誰でも、「ブーンブンシャカブブンブンブン」というフレーズが強迫観念的に繰り返されていることに気付くだろう。これはおそらく上地なりの擬音(オノマトペとも呼ばれる擬音は日本歌謡や日本文学におけるにおいても重要な要素であると同時に、「Regae」の由来の一つとしても知られる)として発音されている。そして、この再三にわたる反復こそが、上地なりの宗教観を最も明確に表している。上地は、反復を、つまり生命における「輪廻転生」を強く意識しているのだ。
 
 

それでは、何故上地(これは「かみじ」と発音するようだが、「かみじ」を変換すると「神路」となり、「かみぢ」として変換すると「神痔」となってしまうので、「うえち」を変換している。かつては「かみち」で正しかったそうだ。これは彼の祖先が沖縄出身であったことに起因している。ここで気になるのは彼のルーツが温暖な気候の象徴である離島、沖縄にあるという点だ。彼はDNAレベルでレゲエに接近していた可能性もある。)は来世に対する期待を持つのだろうか。そこで、今一度、歌詞に目を向けていただきたい。上地はこういう「草食系とかマジ勘弁」。草食系とは現代男性の性質を分類する際に用いられるタームの一つである。草食系とされる男性は一般的に温厚で強力な性的衝動を持ち合わせていない人物だ。先述の通り、上地は強い性的衝動を持っている。故に、一般的に草食系として分類することが出来ないと考えられるかもしれない、しかし、ここでもう一度、彼が制作した楽曲名を思い出してもらいたい。『ミツバチ』である。ミツバチは花蜜と花粉を食べるのだ(例外的な存在に女王蜂の子もいるが、例外は例外である。)。つまり、ミツバチ(=上地)は草食動物なのだ。これを以下に図式としてまとめよう。

上地≒ミツバチ
ミツバチ=草食系
上地≒草食系
 
 
 
上地=草食系とかマジ勘弁
 
 

このことから、上地は現世での自己に嫌悪感(=マジ勘弁)を抱いている。それゆえ、彼は現世を批判し、輪廻転生を基盤とする仏教を信仰し、来世に期待をした。蘇る性的衝動、そして繰り返される諸行は無常であるがゆえに上地は歌った。それが彼の望む形で我々に届けられるという僅かな願望を持ち、彼はそれを録音した。現世から未来へと手を差し伸べるために。
http://www.youtube.com/watch?v=UjE91WVbVt4