三日坊主日記

チェコ留学に関する事を飽きるまで続ける予定。つまり、飽きたらやめる。

ダメ人間、チェコのクラブへ行く2

宣言通り、ブログの更新頻度が停滞、というか停止していたので、先日、国立歌劇場にオペラを見に行ったことについて書こうと思っていた。しかし、昨晩、クラブに行って感じ/考えたことについて綴ることに考えを改めた。予定は未定であり未来は可変であるとマンガに書いてあったし、その通りであると思う。

 

我々は今、グローバル化社会に生きている、などと手垢にまみれた表現から文章を綴り始める必要が無い程度にまで自明となった現代社会において、文化のグローバル化に関する議論は避けては通れないだろう。グローバリゼーションとは情報伝達技術の発展に伴い生み出された概念であるが、情報伝達技術といってもその定義は決して単一ではない。そもそも、音楽におけるグローバル化はいつから始まったのだろうか。おそらく、楽譜の誕生以前に口承を通じて、音楽はグローバル化を果たしたのだろうが、楽譜の発明、そして録音技術の確立により、音楽は更なる拡散装置を得て、制作者の意図せざる距離を、時間を超えて拡散することとなった。それに加えて、グローバル時代の音楽は拡散範囲の拡張のみならず、拡散速度にまで強い影響を与える。楽曲が制作された後、それが発売直後に、時には発売前に、インターネット上で、合法/非合法問わず公開されることは少なくない。制作者とリスナーの物理的距離を、発売から伝達までの時差を無効化してしまったのだ。つまり、音楽のグローバリゼーションには4つの段階ある。1、個人の解釈や認識に支配された(口承)伝達の時代。2、個人の解釈がやや制限された(楽譜)伝達の時代。3、個人の解釈がかなり制限された(録音)伝達の時代。4、3をタイムレスで伝達させる現代。

 

グローバル化は音楽にいかに影響を与えるのだろうか。その一つは多様性だろう。先述の拡散装置を得た音楽はその楽曲の地域/時代性を無効化し、楽曲を世界中にいるリスナーの元へと届けられる。同地域の、同時代の音楽とは異なる音楽、つまりそこでは触れる事が出来ないはずの音楽に接する機会を我々は自覚的にせよ、無自覚にせよ既に得ているのだ。現に、2010年代のチェコにいる筆者は、1970年代にジャマイカで録音された音楽を聴きながらキーボードを打ち込んでいる。

 

それとは対照的に、地域性を強く意識した音楽もまたグローバリゼーションの一環として生み出されている。多様化や地域性の無効化といった先述の条件とは一見矛盾するようにも見えるがそうではない。強い地域性というものは多様化や地域性の無効化によって生まれるのだ。この視点は決して筆者によって考え出された概念ではなく、グローバリゼーション研究における第一人者であるとある社会学者に由来する。文化の多様性や、地域性が無効化された文化に接することで、それとは異なる形で存在する/した自身の文化(とされるもの)を強く信仰し、伝統文化の再確認/構築/強化が行われる。

 

簡単な例として、東京タワーと東京スカイツリーの比較をしよう。2012年に完成した東京スカイツリーは、「そり」や「むくり」といった日本の伝統的な建築技法を組み込んだ上で、設計された。その一方で、1950年代に完成した東京タワーは、スカイツリーと比べてより実用的な目的があったとはいえ、そこに日本の伝統文化の投影がなされてはない。これは1950年代には日本の伝統的な建築技法を利用する事が適わなかったことを意味するものではない、伝統文化を強く意識する必要が無かったのだ。グローバル化が自明の事実では無かった時代には、もちろんグローバル化自体は進展しつつあったが、自らの文化的アイデンティティを保持することに意義を感じていなかったのではないだろうか。しかし、グローバリゼーションが、グローバル文化が一般化した現代では、共同体の繋がりを強化するために伝統文化が持ち出されたと考える事が出来る。

 

これは現代の音楽産業にも同様のことがいえる。海外の、特に第三世界と呼ばれる発展途上国の、音楽を売り出す際、既存の欧米音楽とは異なる伝統的な楽器/奏法/解釈を用いた音楽を売りにされることが多々ある。もちろん、これはマーケティングの一環であることは間違いない、だがしかし、それと同時に他者(グローバル文化)との差異を強調することで、自身の文化的アイデンティティを再確認しているのだ。

 

そして、最後に、文化のグローバリゼーションは多様性や伝統再帰を促すと同時に、文化の単一化をも促進する。この極めて対照的なグローバリゼーションの側面に対して新たな解説を付け加える必要は無いかもしれない。我々はアメリカで生み出された新しい飲食店の形態、マクドナルド化された外食システム、に親しみ、アメリカで生み出された新しい商店、ショッピングセンター、で買い物をすることを違和感無く受け入れてきている。文化のグローバル化とは決して、文化のアメリカ化のみを意味するわけではない。しかし、我々はその生活の中で、無意識的にグローバル化された文化を受け入れてきているのだ。

 

この点は現代の音楽産業にも該当する。ここで、ようやく筆者が本当に書こうと思っていた点に到達した。2000文字を綴り、ようやく辿り着いた、筆者は疲労困憊している。ゆえに止めたい。だがしかし、せっかくここまで書いたのだから続きを書いてもいいのではないかと鼓舞しつつ、続けたい。

 

昨夜、筆者は「Karlovy lázně(カルロヴィ ラズーニェ と読む、以下ではカタカナで表記する)」というクラブへと足を運んだ。 中欧最大と自称するだけあり、世界的にもそれなりの知名度を誇るのか、大学の友人(非チェコ人)数名からすばらしいクラブであると助言された上に、インターネットでの評判もよかったので、自宅からはやや離れているが、深夜に電車を乗り継いで向かった。カルロヴィ ラズーニェは地下1階を含む5フロアを有する大型クラブである、1つ1つのフロア自体はさほど大きくないが、同程度のフロアが5つあることから、かなりの収容人数を誇るだろう。チェコ屈指の観光スポットであるカレル橋から徒歩1~2分の好立地に加え、入場料180コルナにクローク20コルナの計200コルナ(約1000円)と強気の価格設定からも、その自信のほどを伺う事が出来る。(ただ、たまたまサービースデーだったため、ビールは1杯0.5Lで25コルナ、つまり2.0Lで500円程度だった)

 

カルロヴィ ラズーニェの主な客層は観光客である。というか、0時前から午前5時過ぎまで計50人程度に声をかけ/られたが、1人としてチェコ人はおらず、それどころかチェコ在住者も筆者を除くと皆無であった。これは立地だけでなく、強気の入場料にも起因するのだろうが、それでもやはりチェコ人がチェコ人が1人もいないというのいかがな物だろうか。

 

それに加えて、5つあるフロアのうち、ダンスクラシック、という名の懐メロ、しか流さないフロア(ここは40~50代の白人カップルが青春時代の楽曲を当時の踊り方で踊る様相を確認出来る事から、文化人類学、いや考古学的に極めて貴重な場である)とチルアウトフロア以外の全てのフロアがアメリカンポップスやそれに類似する楽曲をひたすら繋いでいた。以前、インターネットで見かけた記事に、東南アジアのディスコ/クラブがyoutubeにより、世界中の音楽を、特に最新のアメリカのポップミュージックを、タイムレスで入手することが可能になったために没個性化したと書かれていた(該当記事を見つける事は出来なかった)が、それと同様の事が、東南アジアだけでなく、チェコやウィーンといった中欧、そして日本のクラブシーンでも確認することが出来る。

 

ここで留意しておきたいことは、筆者は決して、アメリカンポップスを否定しているわけではないということだ。圧倒的な資金力に裏打ちされたアメリカンポップスはどれも、良くも悪くも、一定のクォリティを保っているだけでなく、メディア(TV、youtube、DJ等)を通して拡散された結果、多くのリスナーに認知されていることなど、クラブシーンだけで見ても利点はいくつもある。

 

それでは、何故このような駄文をつらつらと書いているのかというと、文化の単一化に対するある種の不安を抱いたからである。かつてないほどに多様で、豊富な音楽が制作/販売されている現代において、日本で、東南アジアで、中欧で、そして世界中のどこでも同じ楽曲が、同じようなセットリストがフロアを揺らしていることに対して不安を、そして恐怖の念を抱いたのだ。

 

いうまでも無く、DJによって構成されるセットリストはリスナーからの需要によって決定されている。ゆえに、その"世界中どこでも聞ける”セットリストこそがリスナーに求められているという現実は自明である。それでもなお、筆者は疑問を投げかけたい。それでいいのか、と。かつて、灰野敬二はDJを「音楽を紹介する人」として捉えていると言った。それでは、彼らは灰野の考えるDJとして適当なのであろうか。おそらくその答えは否であろう。

 

世界中のどのクラブでも同じようなセットリストが組まれているのであれば、DJは不要となるのではないだろうか。近い未来、情報伝達技術の更なる発達により、一部のDJは姿を消すだろう。代わりにあらかじめ決められたセットリストが地域性だけでなく、個性すらも無効化したグローバル化されたダンスフロアを揺らす事となるのかもしれない。