三日坊主日記

チェコ留学に関する事を飽きるまで続ける予定。つまり、飽きたらやめる。

歩道に便器が不法投棄される国、チェコ!

夜、アパートへ帰路の道中、歩道に使用済み便器が不法投棄されていた。
 
 
 
 
 
 
 
2011年3月11日、それは決して少なくない人にとって忘却の彼方へと送り去ることが出来ない一日として記録されている。それはかの震災を経験していない筆者にとっても同様である。その日、私はある人と出会った。彼の名前も職業ももはや覚えてはいない。だが、彼との会話における主題は克明に想起可能だ。ライブハウスにおける会話の常套手段、「ところで、最近どんな音楽を聴いているんですか?」という筆者からの問いかけに対して、彼は「最近は遊助の『ミツバチ』を聞いているかな、あれは現代のJ-popというよりも現代音楽」と答えた。その後、私たちは互いの遊助論を繰り広げた。そこで、以下では、筆者なりの遊助『ミツバチ』論を記したい。『ミツバチ』は2010年7月に発売された上地雄輔こと神児遊助(これは「神の子が遊びを助ける、すなわち英訳するとThe child of God helps to play.となり意味がわからない)の五枚目のシングルである。
 
 

上地のステージ上における表象は地元横浜のレゲエシーンを意識してか、ジャパレゲ(JapaneseRegaeの総称、大多数がキリスト教徒でもラスタファリアンでもないのに何故か本場にならって男性同性愛者を差別する風潮があるという理解出来ない側面と、レゲエを語るわりにボブ・マーレイ ―ボブ・マーリーを本場風に発音する― とダンスホールレゲエ以外は黙殺する層も少なからず存在するのが実情とも言われるが、筆者はレゲエ好きではないので実際はよくわからない。彼らとお近づきになりたいのであれば、大麻片手に「ヤーマン」と挨拶をしてみよう、決して「ヤリマン」と間違えてはいけない。)のマナーを守っている印象だ(ジャパレゲのマナーとはステージ上でタオルを振り回すことに他ならない。これはプロ野球球団読売巨人軍の応援のマナーとの類似性が指摘され、文化人類学会は大きな注目を集めている。)。そんな上地の代表曲としても知られる『ミツバチ』は一転して、あまりレゲエとは関係がなさそうな楽曲である。そこで筆者はジャパレゲとしての『ミツバチ』ではなく、宗教音楽としての『ミツバチ』論を提唱する。
 

『ミツバチ』の歌詞(http://j-lyric.net/artist/a04f779/l021c2e.html)に目を向けてみると、冒頭から、性を想起させる単語が頻出している。例えば、”イケメン”、”ハイビスカス(花=男根)”、”リズムに合わせて羽上下行くぜ”、”お尻ふりふり”、”エンジンブンブン”、”いい気分”、そして”少しだけでもいい甘いミツちょうだい”とある。強迫観念的に並べられた性の象徴から性を煩悩として捉え、日常から性を遮断した彼の苦悩が伺える。つまり、『ミツバチ』の制作の第一要因は性に対する衝動から来ていると言える。性行為が抑圧されることで、より強固な形で噴出した性衝動に対する解決策として、一時的かつ必ずや自責の念が訪れるであろう射精という手段を介する性行為(ここでの性行為は異性、または同性との性行為のみではなく、手淫も含むことを留意していただきたい。)ではなく、半永久的に保存可能な音楽の制作という手段に打って出たのだ。彼が性欲処理対称として選択した音楽ジャンル(これは音楽学上での分類ではなく、極めて商業的な意味での分類である。つまり、内実が一致しないことが多々ある。)はレゲエであった。これがレゲエであるかどうか、という批判はレゲエ史を研究すれば、いかに見当違いであるかわかる(かもしれないが、筆者はレゲエについてよくわからないのでわからない。そもそもダンスホールレゲエをレゲエ史から意図的に黙殺するレゲエ研究家もいる。本稿において筆者のレゲエ論を展開することは無い。)。現代におけるレゲエは愛や欲望についての歌詞が多い、だがしかし、原始的なレゲエ(ボブ・マーリー以前のジャマイカの大衆音楽としてのレゲエ)はラスタファリズムと呼ばれるジャマイカ独自の宗教と密接に関係していた。ここから、上地はレゲエを宗教音楽として捉えることで、自身の活動に反映させたのだ。
 
 

再び歌詞に目を向けよう。おそらく、『ミツバチ』の歌詞を目にした人は誰でも、「ブーンブンシャカブブンブンブン」というフレーズが強迫観念的に繰り返されていることに気付くだろう。これはおそらく上地なりの擬音(オノマトペとも呼ばれる擬音は日本歌謡や日本文学におけるにおいても重要な要素であると同時に、「Regae」の由来の一つとしても知られる)として発音されている。そして、この再三にわたる反復こそが、上地なりの宗教観を最も明確に表している。上地は、反復を、つまり生命における「輪廻転生」を強く意識しているのだ。
 
 

それでは、何故上地(これは「かみじ」と発音するようだが、「かみじ」を変換すると「神路」となり、「かみぢ」として変換すると「神痔」となってしまうので、「うえち」を変換している。かつては「かみち」で正しかったそうだ。これは彼の祖先が沖縄出身であったことに起因している。ここで気になるのは彼のルーツが温暖な気候の象徴である離島、沖縄にあるという点だ。彼はDNAレベルでレゲエに接近していた可能性もある。)は来世に対する期待を持つのだろうか。そこで、今一度、歌詞に目を向けていただきたい。上地はこういう「草食系とかマジ勘弁」。草食系とは現代男性の性質を分類する際に用いられるタームの一つである。草食系とされる男性は一般的に温厚で強力な性的衝動を持ち合わせていない人物だ。先述の通り、上地は強い性的衝動を持っている。故に、一般的に草食系として分類することが出来ないと考えられるかもしれない、しかし、ここでもう一度、彼が制作した楽曲名を思い出してもらいたい。『ミツバチ』である。ミツバチは花蜜と花粉を食べるのだ(例外的な存在に女王蜂の子もいるが、例外は例外である。)。つまり、ミツバチ(=上地)は草食動物なのだ。これを以下に図式としてまとめよう。

上地≒ミツバチ
ミツバチ=草食系
上地≒草食系
 
 
 
上地=草食系とかマジ勘弁
 
 

このことから、上地は現世での自己に嫌悪感(=マジ勘弁)を抱いている。それゆえ、彼は現世を批判し、輪廻転生を基盤とする仏教を信仰し、来世に期待をした。蘇る性的衝動、そして繰り返される諸行は無常であるがゆえに上地は歌った。それが彼の望む形で我々に届けられるという僅かな願望を持ち、彼はそれを録音した。現世から未来へと手を差し伸べるために。
http://www.youtube.com/watch?v=UjE91WVbVt4
 

ダメ人間、チェコのクラブへ行く2

宣言通り、ブログの更新頻度が停滞、というか停止していたので、先日、国立歌劇場にオペラを見に行ったことについて書こうと思っていた。しかし、昨晩、クラブに行って感じ/考えたことについて綴ることに考えを改めた。予定は未定であり未来は可変であるとマンガに書いてあったし、その通りであると思う。

 

我々は今、グローバル化社会に生きている、などと手垢にまみれた表現から文章を綴り始める必要が無い程度にまで自明となった現代社会において、文化のグローバル化に関する議論は避けては通れないだろう。グローバリゼーションとは情報伝達技術の発展に伴い生み出された概念であるが、情報伝達技術といってもその定義は決して単一ではない。そもそも、音楽におけるグローバル化はいつから始まったのだろうか。おそらく、楽譜の誕生以前に口承を通じて、音楽はグローバル化を果たしたのだろうが、楽譜の発明、そして録音技術の確立により、音楽は更なる拡散装置を得て、制作者の意図せざる距離を、時間を超えて拡散することとなった。それに加えて、グローバル時代の音楽は拡散範囲の拡張のみならず、拡散速度にまで強い影響を与える。楽曲が制作された後、それが発売直後に、時には発売前に、インターネット上で、合法/非合法問わず公開されることは少なくない。制作者とリスナーの物理的距離を、発売から伝達までの時差を無効化してしまったのだ。つまり、音楽のグローバリゼーションには4つの段階ある。1、個人の解釈や認識に支配された(口承)伝達の時代。2、個人の解釈がやや制限された(楽譜)伝達の時代。3、個人の解釈がかなり制限された(録音)伝達の時代。4、3をタイムレスで伝達させる現代。

 

グローバル化は音楽にいかに影響を与えるのだろうか。その一つは多様性だろう。先述の拡散装置を得た音楽はその楽曲の地域/時代性を無効化し、楽曲を世界中にいるリスナーの元へと届けられる。同地域の、同時代の音楽とは異なる音楽、つまりそこでは触れる事が出来ないはずの音楽に接する機会を我々は自覚的にせよ、無自覚にせよ既に得ているのだ。現に、2010年代のチェコにいる筆者は、1970年代にジャマイカで録音された音楽を聴きながらキーボードを打ち込んでいる。

 

それとは対照的に、地域性を強く意識した音楽もまたグローバリゼーションの一環として生み出されている。多様化や地域性の無効化といった先述の条件とは一見矛盾するようにも見えるがそうではない。強い地域性というものは多様化や地域性の無効化によって生まれるのだ。この視点は決して筆者によって考え出された概念ではなく、グローバリゼーション研究における第一人者であるとある社会学者に由来する。文化の多様性や、地域性が無効化された文化に接することで、それとは異なる形で存在する/した自身の文化(とされるもの)を強く信仰し、伝統文化の再確認/構築/強化が行われる。

 

簡単な例として、東京タワーと東京スカイツリーの比較をしよう。2012年に完成した東京スカイツリーは、「そり」や「むくり」といった日本の伝統的な建築技法を組み込んだ上で、設計された。その一方で、1950年代に完成した東京タワーは、スカイツリーと比べてより実用的な目的があったとはいえ、そこに日本の伝統文化の投影がなされてはない。これは1950年代には日本の伝統的な建築技法を利用する事が適わなかったことを意味するものではない、伝統文化を強く意識する必要が無かったのだ。グローバル化が自明の事実では無かった時代には、もちろんグローバル化自体は進展しつつあったが、自らの文化的アイデンティティを保持することに意義を感じていなかったのではないだろうか。しかし、グローバリゼーションが、グローバル文化が一般化した現代では、共同体の繋がりを強化するために伝統文化が持ち出されたと考える事が出来る。

 

これは現代の音楽産業にも同様のことがいえる。海外の、特に第三世界と呼ばれる発展途上国の、音楽を売り出す際、既存の欧米音楽とは異なる伝統的な楽器/奏法/解釈を用いた音楽を売りにされることが多々ある。もちろん、これはマーケティングの一環であることは間違いない、だがしかし、それと同時に他者(グローバル文化)との差異を強調することで、自身の文化的アイデンティティを再確認しているのだ。

 

そして、最後に、文化のグローバリゼーションは多様性や伝統再帰を促すと同時に、文化の単一化をも促進する。この極めて対照的なグローバリゼーションの側面に対して新たな解説を付け加える必要は無いかもしれない。我々はアメリカで生み出された新しい飲食店の形態、マクドナルド化された外食システム、に親しみ、アメリカで生み出された新しい商店、ショッピングセンター、で買い物をすることを違和感無く受け入れてきている。文化のグローバル化とは決して、文化のアメリカ化のみを意味するわけではない。しかし、我々はその生活の中で、無意識的にグローバル化された文化を受け入れてきているのだ。

 

この点は現代の音楽産業にも該当する。ここで、ようやく筆者が本当に書こうと思っていた点に到達した。2000文字を綴り、ようやく辿り着いた、筆者は疲労困憊している。ゆえに止めたい。だがしかし、せっかくここまで書いたのだから続きを書いてもいいのではないかと鼓舞しつつ、続けたい。

 

昨夜、筆者は「Karlovy lázně(カルロヴィ ラズーニェ と読む、以下ではカタカナで表記する)」というクラブへと足を運んだ。 中欧最大と自称するだけあり、世界的にもそれなりの知名度を誇るのか、大学の友人(非チェコ人)数名からすばらしいクラブであると助言された上に、インターネットでの評判もよかったので、自宅からはやや離れているが、深夜に電車を乗り継いで向かった。カルロヴィ ラズーニェは地下1階を含む5フロアを有する大型クラブである、1つ1つのフロア自体はさほど大きくないが、同程度のフロアが5つあることから、かなりの収容人数を誇るだろう。チェコ屈指の観光スポットであるカレル橋から徒歩1~2分の好立地に加え、入場料180コルナにクローク20コルナの計200コルナ(約1000円)と強気の価格設定からも、その自信のほどを伺う事が出来る。(ただ、たまたまサービースデーだったため、ビールは1杯0.5Lで25コルナ、つまり2.0Lで500円程度だった)

 

カルロヴィ ラズーニェの主な客層は観光客である。というか、0時前から午前5時過ぎまで計50人程度に声をかけ/られたが、1人としてチェコ人はおらず、それどころかチェコ在住者も筆者を除くと皆無であった。これは立地だけでなく、強気の入場料にも起因するのだろうが、それでもやはりチェコ人がチェコ人が1人もいないというのいかがな物だろうか。

 

それに加えて、5つあるフロアのうち、ダンスクラシック、という名の懐メロ、しか流さないフロア(ここは40~50代の白人カップルが青春時代の楽曲を当時の踊り方で踊る様相を確認出来る事から、文化人類学、いや考古学的に極めて貴重な場である)とチルアウトフロア以外の全てのフロアがアメリカンポップスやそれに類似する楽曲をひたすら繋いでいた。以前、インターネットで見かけた記事に、東南アジアのディスコ/クラブがyoutubeにより、世界中の音楽を、特に最新のアメリカのポップミュージックを、タイムレスで入手することが可能になったために没個性化したと書かれていた(該当記事を見つける事は出来なかった)が、それと同様の事が、東南アジアだけでなく、チェコやウィーンといった中欧、そして日本のクラブシーンでも確認することが出来る。

 

ここで留意しておきたいことは、筆者は決して、アメリカンポップスを否定しているわけではないということだ。圧倒的な資金力に裏打ちされたアメリカンポップスはどれも、良くも悪くも、一定のクォリティを保っているだけでなく、メディア(TV、youtube、DJ等)を通して拡散された結果、多くのリスナーに認知されていることなど、クラブシーンだけで見ても利点はいくつもある。

 

それでは、何故このような駄文をつらつらと書いているのかというと、文化の単一化に対するある種の不安を抱いたからである。かつてないほどに多様で、豊富な音楽が制作/販売されている現代において、日本で、東南アジアで、中欧で、そして世界中のどこでも同じ楽曲が、同じようなセットリストがフロアを揺らしていることに対して不安を、そして恐怖の念を抱いたのだ。

 

いうまでも無く、DJによって構成されるセットリストはリスナーからの需要によって決定されている。ゆえに、その"世界中どこでも聞ける”セットリストこそがリスナーに求められているという現実は自明である。それでもなお、筆者は疑問を投げかけたい。それでいいのか、と。かつて、灰野敬二はDJを「音楽を紹介する人」として捉えていると言った。それでは、彼らは灰野の考えるDJとして適当なのであろうか。おそらくその答えは否であろう。

 

世界中のどのクラブでも同じようなセットリストが組まれているのであれば、DJは不要となるのではないだろうか。近い未来、情報伝達技術の更なる発達により、一部のDJは姿を消すだろう。代わりにあらかじめ決められたセットリストが地域性だけでなく、個性すらも無効化したグローバル化されたダンスフロアを揺らす事となるのかもしれない。

開けごま、とやつは言った

太古、人の穴より排出されし物質はその質感と形状から雲の子と考えられ、「雲子」と呼ばれた。幾年の時を経て、その名は「うんこ」のみならず、「大便」や「I島さとし」などの新たな名を得た。

 

今日はうんこの話をしよう。

一般的に、うんこと呼ばれる物質は茶色と考えられており、数多くの芸術作品でもそのように表現されている。だがしかし、そのような単一的な色彩表現のみで形容するには、うんこはあまりにも奥が深い。

 

この世のうんこには茶色以外の色彩も存在する。

 

かつて、筆者はフィリピンに滞在した際、緑色のうんこを出した。そして、今、筆者は紅く染まった鮮血のうんこを出している。

 

なお、肛門については日本人のそれと、西洋人のそれとは質がまた異なるようなので、トイレ考については、今後、日を改めて行いたい。

 

 

【アナルが弱い日本女性】肉食中心の白人女性は練りようかんのような大便をひり出すため、アナルは鍛えられている。でんぷん質が食事が多い日本女性は大便の量こそ多いが、柔らかいためアナルの緊縮力は弱い。アナルバイブを使うときは注意

https://twitter.com/franceshoin1985

ダメ人間、チェコのクラブへ行く

日本国外にいるというのに、友達も作らず、気分の赴くまま行動をしていていいのだろうか、とも思ったが、日本にいる時からそうだったのでこれは仕方が無い。元来、筆者は友人と行動を共にするというよりも単独行動を主としているのだ。そもそも授業も何も始まっていない段階から友達を作るようなリア充は滅びよ。友人というものは容易に手に入れてはいけない尊い存在なのである。

 

プラハのクラブは何でもありの無法地帯であると知らされたのは筆者がまだ留学を決める前ことだった。

欧米のクラブは未体験である故に、それが何を意味するのか、またいかなるものであるのか皆目検討がつかなかった。日本国外はともかく、クラブの深夜営業が問題視されている昨今の日本社会においては、クラブに行く層は極めて少数である。筆者もまた基本的にクラブへと足を運ぶ事の無い生活を日本で営んでいたのでクラブという媒体にあまり親しくないのだ。

 

とはいえ、面白そうなので、インターネットで検索し、適当な、近場のクラブをいくつかピックアップして向かう事にした。クラブに行くとなると極力、汗をかきたくないのだが、Tシャツを持ってくるのを忘れたせいでインナーに着ていたヒートテックシャツを一枚に、インナーにする予定で買ったウルトラライトダウンを羽織、いざクラブへ。と思いきや、入り口で今日はプライベートパーティーであるとまさかの入場拒否。ふぇぇ

 

翌日、性懲りも無く、再度クラブへの潜入を試みるべく、腹巻きと白シャツに着替え、新市街へと足を向ける。クラブへ行く前にベトナム料理屋でフォーを食べる。本当はラーメン二郎に行きたいのだが、プラハに二郎も家系ラーメン屋も無く、仕方ないのでフォーで代用する。入店し、注文をすると、どういうわけか、ベトナム人店主から「タイ人?」と尋ねられる。生まれて初めてタイ人と間違えられたが、自分の容姿のどこからもタイを感じさせられたことが無かったが、中欧における僕の顔はタイ顔に分類される顔なのだろうか。タイ顔に分類される顔とはいかなるものか、帰宅したらインターネットで検索をしなければならない、そう思った。フォーは95コルナだったので100コルナ(500円くらい)を出すと、店主は満面の笑みを浮かべありがとうといった。ちなみにおつりは返してくれなかった。

 

インターネットさんが教えてくれた新市街のクラブ「Redost FX」に、100コルナの入場料を支払い入店するも、土曜の23時を回っているにも関わらず客はまばらであった。どのような箱であるか下調べをあまりせずに行ったが、アメリカ人とイギリス人DJが回すイベントであるゆえ、それなりのクォリティは期待出来ると思った、それが大きな間違いだった。入店から退店まで、ひたすら黒人DJはオリエンタルなビートに黒人的な(ソウルというよりもレゲエに近い)ボーカルの曲をひたすらつないでいた。オリエンタルなビートに黒人的なボーカルとだけ聞くと悪くはない印象を抱くが、実際の音楽は工夫をしないasian dub fandationが頑張ってメインストリームの音楽に近づかせたとでもいおうか、とにかく興味が湧かない音楽だったが、フロアにいた黒人女性達はひたすら享楽へと身を投じていた。ラリっていたのだろうか。

 

このままここに滞在しても時間の浪費以外の何にもならないと判断したので、先日、入場拒否を食らった某「Retro Music Hall」再び足を向ける。今回はプライベートパーティーなどというリア充イベントは催されていないようで、入場フリーで入店出来た。ここは前のクラブとは打って変わって、フリーだからか老若男女入り乱れて踊り狂っていた。さすれば僕も踊り狂わん、とフロアに繰り出すも、どうもおかしいと周りを見渡すと、自分以外のほぼ全ての人が友人または恋人と来ていた。リア充はコミュ障と一緒に滅びよ。

 

ナンパ箱として機能しているのか、ナンパ目的と思われる男性客も多数いたので、彼らを観察すると、そこには3通りの方法があった。一つは手を取って一緒に踊る、いわばお遊戯戦法。これにより二人の仲は親密に☆ 二つ目は、後ろから、女性の腰に股間を押し付けて踊る。これはたまに海外の映画を見ていると行っている人がいる(気がする)が、実際にやっているのを見るとこれほど滑稽なことは無い。 そして最後が隣にいる相手の腰に手を回して密着しながら踊る。このどの手法を使ってもうまく行く姿が想像出来なかったので筆者はナンパゲームに参加しなかったが、序盤からひたすら三番目の戦法で攻めている小柄な白人もいた。ひたすらということは一度も成功しなかったことを意味するのだろう、筆者が帰宅する前まで続けていた。

 

フロアにいる客の10%程度が有色人種であったが、目立っていたのはジャッキーチェン似のアジア系男性(以下ジャッキー)くらいで他の存在感は皆無であった。酔拳のごとくフロアで舞っていたジャッキーはその存在感の強さからみんなの人気者!というよりも変なアジア人代表として視線を集めていた。

4時すぎ、疲れたので近くにあった椅子に座りビールを飲んでいたら、ジャッキーが話しかけてきた。ジャッキーは中国人ではなく、スウェーデン在住のモンゴル人だった。こちらには旅行で来ていたらしい。その後、どういうわけかジャッキーの友人(自称プラハ在住の会社員兼学生)に気に入られたのか、やたらと英語で話しかけられるも、彼が何を言っているのか半分程度しかわからなかった。以下ではそこで行われたいくつかのやりとりを抜粋する。

 

「日本人はモンゴル人についてどう考えている?」

 

解答:相撲が強い

 

「日本人男性はどうして顔が小さい」

 

解答:メデイアの中ではそうかもしれないが現実は違う。僕の顔は大きい

 

「日本人の髪型かっこいい」

 

解答:美容院に切り抜き持って行け

 

「チェコでセックスしたか?」

 

解答「してない」

 

「したかったら俺に連絡をしろ、200コルナ(だいたい1000円)で出来る。」

 

おそらく2000コルナと間違えたのだろうが、買う前提で話が進んでいた。お金無いと言ったら何故かビールおごってくれたが、そういう意味じゃない。おごるところを間違えているぞ。ジャッキーや、他のモンゴル人は既に席を外したというのに、なかなか僕を解放してくれなかったので、トイレに行くと席を立ち逃亡した。一応FBのアカウントは教えたがまだ申請は着ていない。続報を待て。

 

彼から逃亡し、再度フロアへ戻ると、何故かスペイン人観光客に韓国人をナンパしたいから通訳をしてくれと頼まれたが僕は韓国語を話せないし、そもそも該当の韓国人も英語を話せないという状況を打破すべく「he says サランヘヨ、サランヘヨ right?」などと改めて文字として表現すると偏差値38にも満たない表現を用いて意思疎通を図るも失笑以外の何も得られなかった。

 

午前6時前、足下に目をやると、そこには無数に散らばったグラスの破片と吸い殻でフロアは覆い尽くされていた。ここで転んだらどのようになるか、ふと考えるも、あまりにも危険な光景が脳裏をよぎったので、退散して帰路につく。

 

今日のハイライト

階段でゲロ吐いている女を見た白人男性に「あいつゲロはいてんな」のようなことをチェコ語で言われる

初日

無数の絵文字と改行によって支えられているアメブロにおいて無機質かつ圧倒的な文字数で自らの経験や思考を綴るという文学的実践を行うべく立ち上げられた本ブログは私の記憶に保存されていた個人の体験をHDDにワードファイルとして保存することで具体的経験を抽象的経験へと変容させ、それを公開することでさらなる抽象化を進展させるということを目的とする。つまり、取り立てて読者を必要とするわけでもなければ、公開する必要も無いのである。記憶の言語化を超える抽象化は個人によって達成する事が不可能であるがゆえに公開するが、言語化の時点で既にその肯定の80%は完了しているのだ。


初日

諸事情というにはあまりにも個人的な事情(わがまま)によりチェコに留学することとなった。ゆえに代理店を介さない自由で柔軟とは名ばかりのめんどくさい作業の連続を経験して、また一つ成長出来ました(意識が高い学生アピール)。

2月某日、僕は実家からタクシーで空港直結電車が出ている駅へ向かうため、普段よりも早く起床した。実家のリビングルームには何故か父親がいた。どうした、太りすぎてついに首になったか?と思ったが今日は普段の職場とは違う職場に直接向かうのは出勤時間が普段よりも遅いだけであった。これで学費の心配をする必要が無くなった。息子のために馬車馬のように働いて欲しい。

8時40分から予約したタクシーは慣習通り、予約時間の10分前に実家前に到着し、インターホンを鳴らすことで僕を急かした。出張ですか、と聞かれたのでチェコに留学をすると答えたら、最近は留学希望学生が減っているとの時事を聞かされるも、全く持って実感が湧かない上に心底どうでもいい話題であった。答えあぐねたが、「金かかりますからね」と庶民を見下すような模範解答をしてみたが、悪意は無いと同時にこれが僕もまた庶民の一員であるということを自覚せずにはいられない継起となることはこの時点ではまだ知る由もない。

なんだかんだと何事も起きずに空港まで着き、到着ゲートに向かう途中、ヨウジヤマモトというよりはリミフゥのような服を着たマブい女性にマフラーを拾ってもらった。この勢いで僕のことも拾って養って欲しい。後にこの女性がフィンランド航空(もしくは全日空)の乗務員であると知る。

飛行機は大変混雑しており、僕の隣の席は空席だったので、早速ブーツを脱ぎ、持参したスリッパに履き替え、映画を見ようと思うもろくな映画が無い。仕方ないので「glee」のシーズン4を見たがみんな歌ってた。機内食については取り立てて感想は無いけど、どういうわけかソバに着いていた麺つゆをこっちでも使えると考えてバッグにしまった。この量をどのように使用するかは不明である。未来の僕に会うことが出来るのであればどのように活用することが出来たのか問うてみたい。おそらくゴミ箱直通である。

経由地であるヘルシンキに到着すると、そこには溢れんばかりの日本人、それも名古屋弁という品性下劣な響きを隠しきれない田舎言葉を話す民俗が手荷物検査ゲートを占拠していた。なんだ、戦争か?手荷物検査にて仕様されるトレイが足りないにも関わらず、職員に声をかけない前方の日本人、おそらく彼らは英語を話す事が出来ないゆえに自身の要望を伝えられないのだろう。さすれば、自らの語学力を持ってして海外留学を達成した私英語力を持って貴殿らの不満を解消してみせよう、と英語でトレイが足りない旨を伝えるも、数日前に行ったカラオケの後遺症により思うように声が出ず、二回も同じ事を叫ぶはめに。とはいえ、人助けをすることが出来たという小さな達成感を手にした。と思うもつかの間、先ほどまで黙りに黙り職員が自発的にトレイを持ってくるのを待っていただけの日本人男性が職員と英語でやりとりをしているではないか。これが噂のコミュニケーション障碍者か、コミュ障は滅びろ。手荷物検査はかつて経験したどの手荷物検査よりも厳重に行われた。X線に当てられた僕の荷物を受け取ろうとすると、金髪碧眼の女性スタッフから声をかけられた。ナンパか?北欧の女性は積極的だな、などと思っていたが、もちろん彼女が僕をナンパする理由などどこにも無い。

フィ「お前、ボトル持ってるだろ?隠したって無駄だぜ」

僕「は?ボトム?」

フィ「違うよ、ボトム」

と意味不明な言葉を発すると共に彼女は僕の鞄を弄った。1分は探しただろうか、すると普段は触らない場所から飲みかけの栄養ドリンクの子瓶が出てきた。ボトム(bottom)ではなくボトル(bottle)であった。発音って難しいね。

フィ「ふふ、チェックするね」

僕「あ、いらないから捨てていいよ」

フィ「チェックしたら返してあげる、捨てなくていいよ」

彼女はこのように答えたが、それは本当にゴミだから捨てて欲しい。検査後、近く似合ったゴミ箱に捨てた。
ヘルシンキ空港の売店にはエロ本が見当たらなかったので店員に尋ねようと思うも、次のゲートまでの道にまたしても大量の名古屋民の群れが列をなしていたので、泣く泣く断念し、列へと加わった。

検査後、自分のゲートへ向かい、ゲート前でだらだらしているうちにゲートが変更になったが、事なきを得た。空港職員が乗っていたキックボードがかっこ良かった。しかし、周囲にいる北欧人の大半が僕よりも大きい事に大きな衝撃を受けた。小さい人を発見し、安堵するも、彼が接近するにつれ、僕とたいして身長が変わらないどころか、やや僕よりも大きい人であった。調査兵団はどうした。早く巨人を駆逐してくれ。

ヘルシンキ ー プラハはだいたい2時間くらいで行けた。機内で出た軽食(パン、チーズ、ジャガイモのサラダ?)がそこそこまずくてヨーロッパを体感する。入国直後にATMで出金しようと試みるも新生銀行の国際キャッシュが使えないので、もう一つのカードから出金した。預けた荷物を受け取る時、子連れ女性が段ボール2つとスーツケースを受け取っていた。独力でカートに乗せる事が出来そうになかったので、微力ながら助太刀するも本当に微力でしかないというか、そもそも微力しか要求されないタスクであったので滞り無く助太刀をした。彼女のカートを一つ運びながら出口へ向かう際、チェコ人職員から荷物に関しての質問を受けるも彼女が適当に答えるだけで検査は終了した。これでいいのかプラハ空港。もう少し何かあるだろ。

空港出口を出て、左手にある交通案内にて公共交通機関のチケット(バス、路面電車、地下鉄の全てで時間内有効)を入手する際、~~駅からはタクシーに乗って行きたいが簡単に捕まえる事が出来るかと尋ねたら、曖昧な笑みを浮かべながら「I hope so.」と答えてくれた。I hope so too. バス停からバスに乗り込むと、日本のそれとは比べ物にならないほど粗暴な運転で、やはりここは旧共産圏であるとの認識を強めた。

バスを降り、地下鉄に乗り換えると、そこにはパーカーのフードの下で暗黒微笑以外に形容不可能な笑みを浮かべながらウォッカを煽っている推定身長190センチのヒゲ面と遭遇した。間違いなくジャンキー、今までに見てきたジャンキーとは異なり、疑問ではなく確信からジャンキーと判断せざるを得ないタイプのジャンキーだった。

地下鉄から降りると、そこには取り立ててコメントを加えるような建物は見当たらず、交通案内の職員の想像通りタクシーはいなかった。仕方が無いので、トラムと呼ばれる路面電車に乗り換えるも、乗り換えに失敗し、反対方向へと向かうなど、お決まりの失敗体験を入手し、いざ寮へ。

めんどくさいので以下箇条書き

・ 入寮
・ 部屋が広くて持て余す
・ おなかすいたから近くをうろうろする
・ 汚い
・ バーがあったから入るも「ビアーチェック?」のようなことを言われる。彼女が店員なのか客なのかは不明だがビールを飲んでたので、「それってビール飲んだり何か食べたり出来ないってこと?」と聞くも伝わらなかったので寮に戻る。
・寝る

初心表明

 

このブログは続きません。

 



日本国外に一定期間滞在する度に日記を付ける事にしていたが、当初は濃密だった日記の全てが数日で内容が希薄化し、やがて惰性で綴られることとなった。我々が幾多の経験を得て非日常を日常と化することで自身の生活を形成してきた。さすれば、先に述べた衝撃の希薄化は不回避であることは自明の理だ。
ゆえに、僕はこのブログを永続的に維持する気はない。